
課題への取り組み開催地
震災復興の先見すえた新情報紙宮城・閖上地区で創刊/コロナ危機、五輪延期にめげず
2020年7月1日、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で、新たな地域情報紙「閖上だより」の配布が始まった。創刊号を飾ったのは高台から海岸沿いの一帯をとらえた写真だ。この「閖上だより」は、2011年3月の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた地元のこれからを伝える新媒体だ。
1面の半分を占めるカラー写真には、崩れた建物や海岸に打ち上げら れた漁船は写っていない。ひっくり返った車両が、水かさが増して湖のようになった水田に浮かぶ様子もない。
閖上地区一帯は、津波被害から数カ月間はひと気のない荒れ地だった。再生計画の準備の一環で、業者ががれきの山を取り除く作業を始めた頃だが、そうした当時の光景とも写真は無縁だ。
写真に写っているのは、震災後に建設された集合住宅の6階から見渡した新しい景色だ。新築間もない家々が軒を並べ、赤さび色の道がくねりながら遠くへ遠くへと続いていく。
「地区の建物は9割が津波にやられてしまいました。あれからどれだけ状況が前に進んだか、写真で見て取れると思います」。そう話すのは、閖上だより編集長の格井直光さんだ。「この先の道のりはまだまだ続きますが、この情報紙の創刊を機に、真の復興に向けた再出発ができればと思います」
名取市の担当者によれば、閖上地区の約3000軒の住宅のうち2,850軒は津波で破壊されたか大きな被害を受けた。一方、住民の1割以上にあたる753人が命を落とした。格井さんの両親も犠牲になった。

それが今では、津波が再来しても被害を軽減できるよう5メートルの盛土が施された。住民は約1,600人になり、マリーナ、港、魚市場が新設された。おしゃれな商業施設「かわまちてらす閖上」もオープンした。


格井さんによれば、震災から10年近くの歳月が過ぎ、復興への取り組みは進んだ。いまや、地域再生を伝える地元情報紙を始めるべき段階に入ったという。「閖上を再発見してほしい。それが新情報紙の狙いです」
新情報紙の前身は「閖上復興だより」で、閖上地区が震災後、苦難を重ねながら復興や再建に努力する様子をカバーしていた。
創刊は2011年秋で、今年3月の60号が最終号だった。
格井さんはこの情報紙でも編集長を務めていた。取り組むきっかけは、福岡市の玄界島に視察に訪れ、同様の情報紙に出会ったことだった。玄界島は市中心部から約20キロの沖に浮かぶ小島で、2005年の福岡県西方沖地震で大きな被害を受けていた。
「(2011年の)震災を受けて、地域社会をどう再建するのか、議論が起きていました」と格井さん。「玄海島はそのお手本になりそうだったのです」
玄海島から避難した住民の一部が情報紙を発行し、同じ境遇の人たちに地元関連の話題を届けていた。格井さんは名取市に戻ると、さっそく同様の情報紙を立ち上げることを決めた。取材対象は、閖上地区の再建を進める分野や手法をめぐる白熱した議論から、小学生たちが野球チームを再結成しようと奮闘する様子まで、多種多様だった。
津波被害者にスポットをあてた一連の記事も、特に印象深いという。勇気や決意がにじみ出る生き様を、取材チームがインタビューを重ねて浮かび上がらせた。

読者層は幅広く、欠かさず読んでくれる人たちは閖上地区に限らず、宮城県外にもいた。第3号までには印刷部数が当初の1,500部から10,000部に増えていた。
情報紙が人気を集めたのは、おそらく情報を手に入れたいという読み手の切実な思いだったというのが、レストランチェーン「漁亭 浜や」を手がける有限会社まるしげ社長の佐藤智明さんの見立てだ。チェーンはかわまちてらす閖上のほか、カナダ政府の支援で「ゆりあげ港朝市」にできたメイプル館に店舗がある。
「結束が強い地区で、情報交換ができるのはごく当たり前だと思われていたのです。それが2011年3月の震災のあとは住民が離ればなれになり、地元の話題に疎くなってしまいました」と佐藤さんは話す。自身の家も職場も、地区一帯を襲った波に飲まれた。
妻と3人の子供たちと一緒に仮設住宅を転々とする中で、地元の情報を追いかける難しさをいっそう実感したという。
「そこに情報紙が創刊され、現状をありのまま伝えてくれるようになったのです。本当にありがたいことでした」
新型コロナウイルスの世界的な大流行が続き、2020年東京五輪が延期されたことで、閖上地区も少なからぬ影響を受けているという。五輪では閖上地区から北へ25キロの宮城スタジアムでサッカーの10試合が組まれていた。
「復興を通じて閖上地区が生まれ変わったところだったのに、新たな災害に見舞われた形です」と佐藤さんは話す。移動の自粛が続き、客足が激減してしまったのだ。もっとも、警戒態勢が最近緩和され、にぎわいの復活に期待が持てそうだともいう。
「五輪のために外国から多くのお客さんが日本に来ることを考えると(もし五輪が中止になったら)大きい損失ですよね。今予定されている通り来年開催されることを期待しています」
名取市は今年3月、震災からの復興を達成したと宣言した。格井さんはこれを時期尚早と感じつつも、これまで出してきた情報紙の役割が潮時を迎えたと感じた。復興の取り組みにまつわる話題を提供する目標をうたっていたことを思うと、特にそう感じた。
自ら代表を務める一般社団法人「ふらむ名取」のサポートも受け、格井さんは新しい情報媒体の構想を練り始めた。フォーカスするのは、閖上地区が将来に向けて直面する課題の数々だ。
「復興」という言葉をタイトルから落としたのはそのためだ。もっとも、復興は極めて重要で議論の多いテーマで、紙面の一角を占め続けることにはなるという。
復興が進んでも不満をこぼし、地域の再建に自ら携わることができない様子の人たちが少数ながらいるのは確かだ。災害の犠牲になり、再建は他人まかせになってしまっているからだろうと、格井さんは言う。
「完璧とは言い切れないにしても、普通の日常生活が戻りつつあることを発信していきたい。そこで閖上地区の再建に汗を流す人たちがいるということを知ってもらいたいのです」

