都会から移住するサーファーたち 千葉・一宮町で新たな人生の波に乗る

課題への取り組み開催地

都会から移住するサーファーたち 千葉・一宮町で新たな人生の波に乗るサーフィン競技開催地、千葉県一宮町 <「サーフォノミクス」シリーズ②>

(公財)フォーリン・プレスセンター What's Up Japan編集部

千葉県一宮町にある「波乗不動産」では、営業時間が始まるとすぐに電話が鳴り響く。海沿いの物件の問い合わせが町外から入るのだ。

「電話が鳴り止まないこともありました」。そう話すスタッフの岩下路実さんは、東京のお客さんが電話で問い合わせてきた内容と内覧希望日をメモしていた。

波乗不動産は設計も手がけており、その住宅はサーフィン愛好家向けに特化したデザインがほどこされ、仕上がりはとてもしゃれている。11月中旬朝の電話の主も、そのうちの一つに目をつけていた。

「ライフスタイルを変えたいと思っている(都会暮らしの)人たちが多いようです」と、波乗不動産を経営する佐々木真さん(40歳) は話す。一宮町は東京に近いため、通勤圏内の転居先として選択肢になりうるのだ。「サーフィンを楽しみ、それに関連するカルチャーも味わうライフスタイル。それをお求めなら、私たちの出番です」

佐々木さんが、「波乗」という絶妙なネーミングの不動産・建築事務所を設立したのは2007年。海岸沿いの一宮町の魅力が、都会暮らしに疲れた人たちの心をとらえ始めていた頃だった。佐々木さんはそんな思いを深く受けとめ、自分自身に重ね合わせた。自称「サーフィン狂」だが、意外にも海がない埼玉県出身。東京の不動産デベロッパーで長時間勤務の日々を3年間送ったあと、脱サラして2005年、一宮町に移り住むに至った。

首都・東京からわずか90キロに位置しながら、一宮町は豊かな自然やさんさんと日光が降り注ぐ気候に恵まれ、絶好の波も押し寄せる。佐々木さんのようなアウトドア志向の人たちが、都会のコンクリートジャングルの喧騒から逃れ、違った生き方を求めるのに格好の条件がそろっていた。

株式会社波乗不動産 代表取締役の佐々木真さん(千葉県一宮町)/写真提供:波乗不動産

町はその恩恵を大いに受けた。日本の急速な人口減少(2008年の1億2800万人をピークに2060年までに8,700万人に落ち込むと予測されている)に直面する多くの自治体を横目に、真逆の流れに乗ったのだ。

12年前に全国的な人口減少が始まってからも住民は増え続けていて、全国的にも、地域内でも珍しいケースだと町職員の渡邊高明さんは話す。

「長生郡にある町村のうち、一宮町以外はすべて、年々人口が大きく減り続けています」と渡邊さんは語った。

2015年の町の「人口ビジョン」報告書によると、1990年代後半から毎年400人以上が町に転入していて、2009年の743人がピークだった。

人口の動きをたどると、0~14歳と25~44歳の年齢層が最も一貫して増えており、町の幼稚園や保育園の中では児童数が増加しているところもある。報告書は、若いファミリーがそうした転入組の中で特に際立っていると指摘している。

「定年退職後に田舎に移ってのんびり過ごしたいと考える方々は多いものです」と渡邊さんは語る。「ところが一宮町では、転入されるみなさんの大多数が、まさに働き盛りの世代なのです」

一宮町が2020年東京五輪のサーフィン競技の会場に選ばれたのは2015年。それ以降、町への関心は一層高まった。しかも、週末を中心に町に押し寄せる若いサーファーや日帰り旅行者の数が急増しているだけではないのだ。

町が2019年春に実施した調査によると、一宮町への転入理由としてサーフィンをあげた人は32.3%に上り、自然環境の魅力(40.4%)に次いで多かった。

「これまでにも『一宮に移住したい』と言いながらも、いざとなると踏み出せない方は結構いました」と佐々木さん。「しかし、五輪会場に決まったこと、加えて最近では新型コロナウイルスの大流行が、最後のひと押しになっているのです」

一宮町の海岸近くのエリアでの住宅建設の様子 ©ROBERT GILHOOLY PHOTO

峰村拓也さん(42)も、そうした動機の転入組の一人だ。2016年、東京の北75キロに位置する埼玉県羽生市から、家族と犬を連れて移り住んだ。建設関係の事業の拠点も一宮町に移した。

「サーフィンがやりたくて、それもたまの週末にやる程度ではなく、それ以上に満喫したかったのが(転入の)理由です」と峰村さん。一宮町に引っ越してからは、週に3回ほどサーフィンを楽しむようになったという。「妻も海が大好きです。海の近場というだけで、暮らしの質が格段に高まります」

峰村さんによると、自身が一宮町に転入してからだけでも、特に海沿いの建設工事が目立って増えているという。

「ずっと住み続けようと転入してくる人の数が目に見えて増えています。在宅勤務をしながらサーフィンを楽しみたいと考えて移り住む人もいるようです」と峰村さんは話す。

一宮町の志田下ポイント近くで、サーフィンの合間の休憩中の峰村拓也さん ©ROBERT GILHOOLY PHOTO

実際、町の担当者によると、コロナウイルス対策の一環で企業が在宅勤務を促進しており、そうした企業で働くサーフィン愛好家の間でも、一宮町の人気が高まっているのだという。

この人気の高まりを生かそうと、町も躍起だ。雑誌や「一宮クリップ」(ichinomiya-iju.jp)などのホームページを立ち上げることで新たな転入者を呼び込もうとしており、町の知名度アップも狙う。

「他の自治体と違って、一宮町は(新たな転入者を呼び込むのに)さしたる努力を必要としてきませんでした。というのも、自然とサーファーがやって来てくれたのですから」。そう話すのは、町で広報担当を担う生田修大さんだ(年齢?)。自身もサーフィンをこよなく愛し、東京の金融機関に15年間勤務したあと、5年前に転入してきた。
「この町をめざす人たちをサポートしたいですし、積極的に町のPRにも取り組みたいです」

一宮町職員の生田修大さん ©ROBERT GILHOOLY PHOTO

取り組みは実を結びつつあるようだ。サーフィンの人気スポット「サンライズポイント」近くでサーフィンスクールを経営する川畑友吾さん(26)によると、町に移り住みたいと考える受講生が目に見えて増えているという。


「3年前にこのスクールを始めて現在までの間で、受講生の総数は約3倍になりました」。そう話す川端さんは、一宮同様サーフィンのメッカである神奈川・湘南から一宮町に移り住み、父と同じプロサーファーの道に進んだ。受講生のほとんどは20~30代で、「ここに引っ越してきたいと希望する人が多く、実際に移り住んだ方々もいます」

プロサーファーでインストラクターの川畑友吾さん ©ROBERT GILHOOLY PHOTO

転入してから年月が経った人の目には、町の様子が大きく変わったと映る。国道30号沿いにはサーフショップやシャワー、サーフボード用のロッカールームなどの施設が次々と誕生しており、「サーフストリート」として知られている。


「30数年前、ここに来はじめた頃には、そうしたものはなかったですね」。そう話す高橋浩二さん(51)は東京出身のプロサーファー。妻で仙台出身のサーファー、千佳さんと一緒に、サーフストリートの西端にあるレストラン&バー「波音」を経営している。「昔はサーファーの数も少なかったです。ここ数年で様変わりしましたね。サーフィン初心者やサーフィンスクールの数がぐんと増えました」

高橋浩二さん、千佳さん夫妻。レストラン&バー「波音」店内で ©ROBERT GILHOOLY PHOTO

不動産業・開発を手掛ける佐々木さん同様、高橋さん一家も店のオープンを実現させた成功組だ。もっとも、町内には雇用機会が極めて少なく、若者の流出傾向を食い止めるために取り組むべき「大きな難題」があると、町職員の渡邊さんは認める。転入者が増えるのと逆の事態が進行しているのだ。

町の人口 はまだ純増が続いているが、それを維持する責任の一端は、転入組自身が背負う必要があると、佐々木さんは考えている。

「サーファーたちの転入がなければ、この町もご多分に漏れず、一気に過疎化が進むでしょう」と佐々木さんは話す。「移住してくる人のなかには子どもがいる人も多いのですが、地元に仕事がなければ、いずれその子どもたちも町を出る若者たちの後を追うように東京などに行ってしまうでしょう。町の今後を考え、雇用機会を創出してその流れを食い止められるかは、官民双方にかかっています」

一宮町内の様子 ©ROBERT GILHOOLY PHOTO

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